どもどもホリマコです。
当時毎日ゾク車が校庭に乱入、ベランダから先輩が落ちてくる、そんな「龍ヶ崎で一番バカ(当時)」な中学校で3年間を過ごしてました。
だいたいの子は「学生ズボンの太さとタックが何本入っているか」でマウントを取り合ってたので
ほんのちょっと(30分ぐらい)勉強すれば学年で上から30番くらいの「そこそこの」成績をとれる学校でした。
さすがに3年生になるとみんな目が覚めて真面目に勉強を始めたので1日30分のままの僕は50番くらいに落ち
「受験校」と呼ばれる高校に入学しました。
「中学まではまともだった」僕も学校に入った瞬間にすべてがゼロになって最初の中間テスト、数学16点でした。
「成績で若干マウントを取れた」自分のプライドは瞬く間に崩壊し、
いつの間にか「ズボンの太さ」にこだわるような高校生になってました。
「大人は俺たちのことなんてわかっちゃくれない」
「敷かれたレールを走るのはまっぴらだ」
などと誰かが言ってた言葉をそっくり真似して自分はいかに抑圧された大人の被害者であることをアピールしました。
母親にオナニーを見つかった時も「親は俺を監視して支配下に置いている!」なんつって。
襖越しにごそごそやってたらわかるに決まってんだろ。
ロードマン(チャリ)に乗りながらタバコをふかし(マイルドセブンメンソール)ているところを先生に見つかりぼっこぼこに殴られました。(当時)
そんな「勝手に疎外感を感じてる落ちこぼれ気取り」に深夜放送は優しかった。
中学の時にとんねるずの二酸化マンガン倶楽部(文化放送)に葉書を読まれ次の日ヒーローだった僕は「葉書を読んでもらえる」場所を探して投稿を続けていった
「自分の居場所」を探して。都合いいなぁ。
もちろん王道のオールナイトニッポン1部やコサキンも大好きだったけどオールナイトニッポンの2部。
「一人ぼっちの〜」「真夜中の〜」「愛を!愛を!」「ストリートで!」
人生も半分以上生きちゃうと「何言ってんだ働け」ってなるけど当時はこんな言葉にすがるしかなかった。
バカだから。
あ、全然バカにしてない。全然してない。懐かしがってるだけ。
今は作家、当時はエコーズのボーカルだった「辻仁成のオールナイトニッポン」が僕のロックに触れるきっかけでした。
ZIN-SÄY!ってそっちかよ!ってお話でした。
ドラムの今川勉氏がお亡くなり、あの当時のことがよみがえりました。合掌。
あれ?買取のことにつながらないや。
当時のバンドブームのCD、バンドスコア買います!