
最近、古本業界でちょっとした騒ぎになっている
「AI企業が学習用に日本の古本を大量に買っているんじゃないか?」という話。
僕のところにも「実際どうなんですか? ちょっと話を聞きたい」という連絡が来たりもしました。
僕自身、この一連の流れをみていて、ちょっとした違和感があったんです。今回はその辺のことを、古本屋の現場の立場から書いてみようと思います。
ちなみにこの記事。考えがなかなかまとまらなかったので、AIと一問一答しながら頭の中を整理して書いています。
AIについての記事を、AIと相談して書く。なかなか面白い時代になったものです。
突然「祭り」が始まった
8月の頭。当店のネット販売に、あるところから急に大量の注文が入り始めました。
最初は「なんだこれ?」という感じでした。
古本屋をやっていると、転売業者さんからまとめて買われること自体は別に珍しくないので「また新しい転売屋さんでも出てきたのかな」くらいに思っていました。
それが2週間くらい続いた頃、同業者のLINEグループでも
「そっちも来てない?」
「来てる来てる」
「なんだこれ?」と話題になり、ちょっとした『祭り』状態でした。
当店の場合、普段なら一日に150~200冊くらい発送するんですが、その時期は300冊くらい、通常のほぼ倍になる日もありました。
正直に言えば、嬉しいですよ。
ここ最近、ネットでの本の売れ行き自体が以前ほど良くないという実感もありましたから、理由が何であれ注文が増えるのは古本屋としてありがたい。
これ、転売するような本なのか?
今回注文され、売れて行った本の内容は、平成の頃の資格取得の本だったり
30〜40年前の、社会や世の中の流れについて書かれた本だったり
江戸時代の生活について書かれた本だったり
と、本のジャンルが、とにかくバラバラで、ISBNが付いている1981年代以降に出版されている中途半端に古い本が多かったように思います。
そして、ものすごく専門的な希少本というわけでもなく、古書市場で何万円もするような本でもない。
むしろ「これ、次の在庫整理で処分かな」というくらいの本。
そういう本を一冊一冊買って、いったいどこで転売するんだろう? 利益出るのか?
そんな話をしていると「海外でAI用に古書が大量に買われているらしいぞ」という情報が入ってきました。
これは言われて気づいたんですが、たしかに注文の入り方にも特徴がありました。
3つくらいのアカウントから、だいたい1時間おきくらいに、ポツポツポツポツっと注文が入る。
さらに異常だったのが「保留」の数です。
当店の場合、注文保留は一日に10件とか15件くらいなのですが、それが120件くらいに。
最初は「大量にカード決済したから、カード会社に止められたのか?」なんて思っていたのですが、保留だった注文が順番に確定していくと、またポツポツポツポツっと注文が入ってきて同じくらい新しい保留が積み上がる。
あまりにも注文が多くて処理しづらいので、この大量注文だけを分けて処理できるよう、受注システムに少し作り変えるほど。
実際に何が起きていたのかは僕には分かりませんが、お客様が一冊ずつ本を探して買っているのとは、明らかに違う動きでした。
「日本の文化が失われる」という話への違和感
さて、ここからが今回一番書きたかったことです。
今回の一連の話では、日本の本が米国へ50トン以上輸出されたという話も出ています。
(注:この「50トン」の中に今回古本屋から大量に買われた本が含まれるのか、そしてすべてがAI学習用だったのかまでは確認できていないので、そこは分けて考えたほうがいいと思ってはいます。)
その一方「本を冊数ではなくトンで表現するなんて、本への敬意がない」というような意見も目にしました。
でも、申し訳ないけれど、大量の本を扱う古本屋は普通にトンで考えます。毎週何トン入って、何トン出ていく。
「海外でAI用に古書が大量に買われているらしい」との話について
日本の大切な本が海外に流出してしまう。
AIに学習させるために裁断されて捨てられている。
文化の毀損だ。
というような論調もSNSで目にするようになりました。
もちろん、言いたいことは分かります。でも、本を売る側から見ると…。
その本、本当にAIが買わなければ残っていましたか?
仮に、今回の大量注文がAI企業が学習用として購入した、とします。
1タイトル1冊買って、断裁してスキャンして、本を廃棄したとします。
もちろん本が裁断されて捨てられるのは気持ちのいい話ではありませんが、今回の大量注文された本は、いずれも日本国内で流通されている、希少性が高い本ではありませんので、その1冊が日本国内から無くなったことをもって「日本文化が失われた」とまで言うのは、僕にはちょっと大げさに感じます。
なぜなら、当店から売れたその1冊は、売れなければ廃棄処分されていたかもしれない本だからです。
本を裁断する話は今回が初めてじゃない
紙の本を裁断してスキャンしてデジタルデータ化、いわゆる「自炊」。
15年くらい前から行われていることですし、今でも本をスキャンすることを仕事にしている業者はありますし、そういうところから古本屋に注文が入ることもあります。
当時は「本を電子化できる便利な時代になった」というほうが強かったように思いますが、今は「文化が破壊される!」と。
なので「え? あの時はどうだったんだよ」という複雑な気持ちもあるんです。
古本屋は本を捨てています
ここはあまり夢のある話じゃないんですが、実際の古本屋の話をします。
前途しましたが、今回売れたのは「次の在庫整理で処分かな」という本たち。
僕自身、毎週2~3トンくらいの本を仕入れていて、入ってきた本のうち、商品化の候補になるのは2割くらい。
商品にならない大部分は、古紙回収に回し処分します。僕らは業界用語で「潰す」と言います。
うちは古紙回収業者さんと契約して、定期的に回収に来てもらっています。
売れない本をいつまでも置いておくことはできません。
本を商売にしているからこそ、全部は残せないんです。
電子書籍で実際に価値が変わった本もある
古本屋は電子化の影響をずっと受けてきました。
一番分かりやすいのがコミックです。
漫画を読む人の多くは、必ずしも「紙の本を所有したい」わけではありません。
漫画を読みたい。けれど部屋に何十冊、何百冊と置くスペースもない。だったら電子書籍でいい。
実際「漫画は電子でいい」という人にも何人も会いました。
その結果、紙の普通のコミックの需要は、古本屋の感覚としてかなり落ちたと思っています。
一方で、電子化された今でも価値が高い漫画は、絶版漫画と初版本。
例えば『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』の初版。
あるいは、週刊少年ジャンプの初連載号。
こういうものは、もはや「漫画を読むための本」だけではありません。
その作品が世の中に出た、その時の現物を所有することに価値があるんです。
「情報としての本」と「物としての本」
ここが、これからの古本を考えるうえで面白いところなんじゃないかと思っています。
本には「情報」としての価値があります。
文章や知識を読みたいだけなら、電子化することはできる。
でも、それとは別に「そのもの」の価値もあります。
郷土資料 / 戦前資料 / 一点物 / チラシやパンフレット / 和本 / 版画
などは、デジタルデータ化して持っていれば良い、という物ではないんです。
版画なんて、高精細でスキャンすれば「絵」を見ることはできますが、それと本物の版画を所有することは全く違う。
本だって同じ、という気持ちはもっています。
こういうものを「スキャンしたから原物はいらない」と捨てられたら、それは僕だって
「ちょっと待てよ」と思います。
本は商品。でも、商品でしかないわけでもない
もし明日、今回と同じような大量注文が来たらどうするか。
普通に売ります。
そもそも、売るために商品を出しているわけで、相手がAI学習に使うとしても、それだけを理由に断る理由はありません。
でも、一点物の資料に対して「これ買って、スキャンしたら現物は捨てます」と目の前で言われたら
「捨てるなら、もう一回うちに持ってきてくれよ。買い取るから!」と言うと思います(笑)。
情報だけ必要ならスキャンすればいい。
でも、現物は捨てずにこちらに売ってくれれば、次に欲しい人へ渡せるかもしれない。
逆に、「額に入れて大切に飾ります」なんて言われたら、それは嬉しい。
ここは理屈だけじゃないんですよね。
売って終わりと言いながらも、残せるものなら残ってほしい。
その間で商売しているのが古本屋なんだと思います。
「価値があるから残った」のか「残ったから価値が出た」のか
「古本屋は、文化的に大切な本を見極めて残す役割がある」と言われれば、それは確かにそうだと思います。
でも、これも綺麗事だけでは済みません。
売れない本は捨てます。
ここで難しいのは、今売れない本が20年後、30年後にも価値がないとは限らないことです。
例えば、1980年代〜90年代、あるいは2000年代初頭のアニメ雑誌。
昔は本当に値段が付かなかった。
古本屋に入ってきても「潰し」の対象になっていたものがたくさんあります。
ところが今、日本のアニメや漫画が海外でも大きな文化になった。
『ドラゴンボール』をはじめ、昔のアニメや漫画に関係する雑誌が、とんでもない値段になることもある。
20年前に「この雑誌は将来高くなるから絶対に捨てるな」と正確に予測できた古本屋が何人いたでしょうか。僕には無理です。
価値があるから残ったのか。
それとも、
残ったから価値が出たのか。
古本って、そこが本当に難しい。
古本屋をノスタルジーだけで見ないでほしい
今回の報道を見ていて感じた違和感の正体は、もしかするとここなのかもしれません。
世の中には、まだ「古本屋」というものに対する強いノスタルジーがあるように思います。
古い本が並んだ店。
店主が一冊一冊大切に本を見ている。
昔の文化を守っている場所。
もちろん、そういう部分もありますし、僕自身そういう古本屋が好きです。
でも、現代の古本屋はそれだけではありません。
大量に本を仕入れる。
商品になるものを選ぶ。
自分のところで扱えないものは市場(古書交換会)へ出して、別の古本屋へ回す。
売れないものは古紙にする。
そして今の古本屋は、大なり小なりネットで本を売っています。
皆さんだって、古本が欲しいときに毎回古本屋まで出掛けて買うわけではないでしょう。
Amazonだったり、メルカリだったり、日本の古本屋だったり、ネットで検索して買う。
だったら売る側だって、それに対応するシステムを作ります。
うちだって在庫をデータで管理して、複数のサイトで販売して、受注処理をして、発送しています。
今回なんて大量注文に対応するために、自社システムまで変更しました。
古い本を扱っているからといって、商売の仕組みまで昔のままなわけじゃないんです。
そこで思い出した「オヤジジャーナル」
僕はTBSラジオの『東京ポッド許可局』という番組が好きで、当店茨城買取ドットコムは、東京ポッド許可局アプリのスポンサーとして応援していますです。
そこで以前から聞いていて面白いなと思っていたのが、プチ鹿島さんの「オヤジジャーナル」という考え方です。
鹿島さんは、新聞や週刊誌、スポーツ紙などを、ただ「古いメディアだ」と批判するのではなく「おじさんが発信し、ともすればおじさんが受信する」という一つのキャラクターとして眺め、そこに愛を込めて読み比べています。
僕は今回の報道を見ながら、なんとなくそのことを思い出しました。
「昔ながらの古本」「日本の大切な文化」
そこへ、「AIという最先端技術」がやって来て、本を大量に持っていってしまう。
これはものすごく「物語」になりやすい。
古き良きものが、よく分からない最新技術に奪われていく。
確かに絵になる話です。
でも、古本屋の倉庫から眺めると、景色はちょっと違う。
その「大切な本」の横では、今日も売れない本が古紙回収のトラックに積まれていく。
それが現実です。
だからといって「本がかわいそう」という気持ちを笑うつもりもありません。
僕だって嫌です。ノスタルジーだって大切です。
ただ、その感情だけで現在の古本流通を語ってしまうと、現場とは少し違うんじゃないかな、とは思います。
これから古本は二つに分かれていくのかもしれない
今回の件を見て、僕が一番感じたのは「時代が変わったな」ということでした。
本に、こんな使われ方が出てくるんだ、と。
これから古本は、今まで以上に二つの価値に分かれていくのかもしれません。
一つは、
情報としての本。
そこに書かれている文章、知識、記録を利用したい本。
もう一つは、
物としての本。
初版、絶版、和本、郷土資料、一点物、紙もの、版画。
情報だけではなく、その現物を所有することに意味があるもの。
「内容を読みたい人」と「現物を持っていたい人」。
電子書籍の普及ですでに始まっていたこの分化が、AIによってさらに進むのかもしれません。
そして、そうなれば古本屋の仕事もまた変わっていくのでしょう。
最後に
「AIが日本の文化を奪っている」という見方もあるでしょう。
でも、古本屋の現場から見ると、それだけでは説明できないものがたくさんあります。
本は文化であり、情報であり、そして本は商品でもあります。
30年前には捨てていたアニメ雑誌が、今では宝物になっている。
今は誰も欲しがらない本の中に、30年後の宝物があるかもしれない。だから面白いし、だから難しい。
逆に、誰にも読まれず来週古紙になるはずだった本の中身を、AIが拾っていく時代になるのかもしれない。
それが良いことなのか悪いことなのか、僕にはまだ分かりません。
ただ、古本屋という商売は、また一つ時代の変わり目に立っているのかもしれない、ということは感じています。
…などということを、AIと相談しながら書いてみました。





